忘れられないー8月12日の日航機事故のこと
今年で日航機墜落事故から40年。歳をとるはずだと思います。本当に時の流れるのは早いものです。
この日航機墜落事故から40年という事実は、私にいろいろなことを思い起こさせます。
私も実際、この日航機に乗り合わせる可能性がありました。
こちらの飛行機はその日、北海道の千歳空港から東京羽田空港1往復、その後東京羽田空港から福岡空港1往復、東京羽田空港と大阪伊丹空港1往復で、最終便が大阪伊丹ー東京羽田と飛ぶようなフライトスケジュールでした。しかし往路の東京羽田ー大阪伊丹間で事故が起こってしまったのです。
千歳空港から東京羽田までの同ルートで、8月12日、私たち家族は、北海道旅行からの帰りでANA機に搭乗しており、ANA機を選んでいたのはたまたまです。
こちらの事故原因については、まだはっきりしない事も多いですが。
もし直前の千歳—羽田ルートでJALを選び、その際に垂直尾翼が吹っ飛んでいたら?
そう思うと今でも背筋が凍えます。
その日、自宅に帰る早々、TVのニュースキャスターが黙々と乗客名簿を読み上げていたのを今でも思い出します。
うちは滅多に家族旅行などできない自営業家庭だったので、子供の時から大人になるまで、家族旅行は数えるほどしかしていません。
もしそんな滅多に乗らない飛行機で事故にあっていたら。
本当に一寸先は何もわからないものです。
当時救出された生存者の女の子と同じ年齢だったこともあって、その後のマスコミの過熱ぶりや、もし家族が死んで自分だけ生き残ったら、なんてことを考えて、私にとって忘れられない夏となりました。
8月中旬は日本にとって終戦記念日やお盆などもあって、なにかとしんみりしがち、また先祖やすでに鬼籍に入った親類、家族などを思い出す月です。
熱中症にならないように、お墓参りに行こうと思います。
ちなみに今年は終戦、戦後80年でもありますが、私の祖母もよく定期的に靖国神社に行っていました。
仲の良かった弟が海軍に従軍し、軍艦とともに命を落としたそうです。
とても優秀で、読書が好きなもの静かな弟。
2男4女の兄弟で、一番気があって仲がよかった、とよく話していました。
いつも明るく、がらっぱちな祖母が、そんな時だけとても寂しそうでした。
祖母の夫は、戦争に行ったわけではありませんが、軍需工場に勤めていて、その排気ガスなどが原因で病気になり、早くに亡くなりました。
その後祖母は、3男3女を女手ひとつで育て、仕事の忙しい娘の子供、つまり孫(私)まで引き取り、面倒を見てくれました。
しかし、去年までに、母を含め、全ての母の兄弟が鬼籍に入りました。
とても寂しい夏です。
私もあと数十年でそちらに、と思いながら、せっかく皆が育んでくれた命なので、人生を全うするよう、毎日幸せに過ごすことが目標です。
皆様も今の平和な時代は、過去の途方も無い犠牲の上に成り立っていることを思い出し、人生を楽しく、自分らしくお過ごしくださいませ!
夏になるといつも切なくなる私なのでした(涙)